『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』の思い出

90年代を生きたエロゲユーザーにとって、何故『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』は“伝説のエロゲ”となったのか?

当時、最底辺のシナリオライターだった漏れの視点で語らせてください。

シーズウェアに“剣乃ゆきひろ”というシナリオライターがいました。

いや、元々彼は1993年当時シーズウェア所属のプログラマーだったのが、『禁断の血族』制作中に野口ろうご氏のシナリオを画面にアウトプットされたのを読んで、

「こんなんなら、俺でも書けるんじゃね?」と思い立って、プログラマー兼シナリオライターとなって『悦楽の学園』を担当したのが“剣乃ゆきひろ”のはじまりです。

剣乃さんの活動を横目で見ていたエルフの蛭田社長は彼のヘッドハンティングを目論みます。

その頃の漏れは1993年にビジュアルアーティストオフィス(現ビジュアルアーツ)の馬場社長のヘッドハンティングにあい、エルフを抜けてホイホイと大阪について行ってエロゲを量産してました。

エルフ蛭田社長は漏れの抜けた穴を埋めるべくエロゲ業界を奔走し、遂に剣乃さんに対して「取締役として迎えたい」と言って口説き落とします。

1994年にエルフ取締役となった剣乃さんは通常半年のスパンで制作→発売されるエロゲの制作期間を自分の作品だけは“コンシューマーRPGと同じくらいのクオリティにしたい”といって2年以上のスケジュール表を蛭田社長に突き出します。

蛭田社長はこの“博打”に乗りました。そうして作られたのが1996年12月発売の『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』です。

ユーザーには高く評価された『YU-NO』ですが、莫大な制作費をかけていたためにエルフ経営の足を引っ張ります。

蛭田社長さんと剣乃さんの仲は険悪に近いものになって剣乃さんは『YU-NO』のセガサターン版を作ってエルフを退社します。

それから剣乃さんは本名に近い“菅野ひろゆき”にペンネームを改めて1997年12月に株式会社アーベルを設立し、代表取締役社長に就任します。

剣乃さん改め菅野さんは社長になってみて初めて“会社経営の厳しさ”というものに直面します。

自分のネームバリューをタテに銀行からお金を借りてみたものの、月ごとに出ていく組織の維持費を見て『YU-NO』と同じスパンでエロゲは作れないと悟り、1年ごとに作品を出す方針でしたが、思ったほどに売れません。

銀行はお金の返済を求めてきて、やむをえずリストラを慣行しましたが、それが「アーベルは危ない」との噂のタネになり、菅野さんは金策に駆け回ります。漏れにも借金の申し入れがありましたが漏れは金持ちではないので断りました。

2006年に『ミステリート』がPS2で遊べるようになって会社の経営はやや持ち直したものの、自転車操業のまま業態は縮小を余儀なくされ、2011年春に菅野さんは病に倒れ、何度かの入退院・手術を繰り返しつつ、開発途中だった『ミステリート2』の完成の目を見ぬまま同年12月19日、脳梗塞およびそれに伴う脳内出血のため亡くなります。

無知な“剣乃ゆきひろ”“菅野ひろゆき”ファンは「『YU-NO』で儲けたお金で『YU-NO』みたいなエロゲを作れなかったのか?」と言ってますが

業界の慣例としてエロゲ会社を辞める際にクリエイターは『著作権の放棄』の念書を書かされるんです。

漏れも2000年にビジュアルアーツを辞める時にこの念書を書いたので、現在DMMでビジュアルアーツから懐かしの90年代エロゲが買えるようになっても、売れたお金は漏れのもとに入りません。

菅野さんもシーズウェアとエルフを辞める際にこの念書を書いたので、『DESIRE』と『EVE』『YU-NO』がどれだけ売れようが菅野さんの懐は温かくならなかったのです。

なんでこんな話を突然したのかというと、昨日某社の社長からエロゲライターのランキング表を見せられて、

「『アリとキリギリス』の話は知っているだろ、“菅野ひろゆき”がキリギリスなら、君は“アリ”だな」と言われたためです。

漏れはせっせと半年に1本か2本のスパンでエロゲを作ってきたのに対して、菅野さんは燦然と輝くエロゲを数作、しかも『YU-NO』の素晴らしさは今後とも語り継がれていくでしょう。

それにそのエロゲライターのランキング表ってちゆ12才がねつ造したって言っても、誰も聞いてくれない。

漏れの話はここで、どっとはらい。

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